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      •                               寧楽棋会の歴史
      • 奈良県で最も古いアマ将棋同好会はどこかを訪ねて、寧楽棋会の中井敏明氏(前会長)
        記録を、ここに紹介いたします。中井氏は約36年間会長をされた方です。…資料③-2
        寧楽棋会の誕生日は1947(昭和22)年7月20日(日) 満76歳。…資料③-1
        他の同好会の歴史も知りたいですね。  (見谷)




      • ① …目次


      • ② …概要


      • ③ …寧楽棋会の歴史

       

             ∞∞∞ 寧楽棋会の歴史 ∞∞∞

      1.設立の経緯
       ・「寧楽棋会は松田辰雄八段(注1)宅に集まる同好の士で、後援会的な性格をもって
        形成されたのです。だから、奈良市は、奈良県にとって戦後将棋の発祥の地と言う
        べきです。」(昭和45年5月22日大和タイムス紙特集「奈良県将棋の回顧と展望」
        で辻本源兵衛氏(注2)の言)
       ・「五条の河崎正司氏(当時大和運送の社長・アマ三段)が松田辰雄八段の一番の
        後援者であり、寧楽棋会の初代会長でした」(上記同特集記事で松岡成泰氏の言)
       ・設立は、昭和22年10月19日と推測されます。
        寧楽棋会所蔵の駒台の底に「寄贈 寧楽棋會 昭和二十二年十月十九日 某」と
        墨記(注3)されている。
       ・寧楽棋会は、一説に「松田辰雄八段の後援会として発足、松田八段の死後同好会
        になったとも言われていたが、上記方々の発言や物証から、
        昭和22年10月19日に設立された、松田八段の後援会的な性格を合わせもった
        奈良県の最古の同好会と言えます。                         

      • 当時の松田辰雄八段
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      ※注1 松田辰雄八段(大正5年~昭和30年) 
        プロ棋士、神田辰之助九段門下、昭和10年に四段
        昭和22年に七段、同年順位戦B級で8勝4敗で
        A級に昇段、昭和23年A級順位戦で升田、大山、
        大野という巨匠を倒し7勝2敗で木村義雄八段と
        名人挑戦者決定戦に進出するが、体調不良もあり
        2連敗で敗退。
        以降病気のため休場のまま、昭和30年1月14日逝去
         奈良市漢国町に居住(期間は不明)
        順位戦の通算成績は、23勝13敗

      ※注2 辻本源兵衛氏
        戦後のアマ名人戦の第1回大会(昭和22年)の奈良県大会で優勝(当時四十七歳)、
        しかし事情があり、全国大会は辞退(替わりに西治一氏が出場し準決勝まで進出)。
        二塚松造氏(寧楽棋会2代会長)らと寧楽棋会の当初のメンバー
       
      ※注3 寧楽棋会所蔵の駒台の裏に残る墨書き

       

      2.寧楽棋会の変遷
      (1)歴代の会長
        ・初代 河崎正司 (昭和22年~昭和20年代後半)
        ・2代 二塚松造 (昭和20年代後半~昭和39年)
        ・3代 中井敏明 (昭和39年~昭和56年)
        ・4代 近藤信寿 (昭和56年~?)
        ・5代 住山雅康 (?~平成9年)
        ・6代 中井敏明 (再登場・平成9年~平成28年)
        ・7代 井部正明 (平成28年~ )
      (2)活動拠点の推移
        ・昭和22年~昭和39年 
          能楽金春流宗家77代家元金春栄冶郎氏の自宅(近鉄奈良駅スグ)に数十畳の
          稽古場があり、寧楽棋会の例会会場のほかアマ名人戦奈良県予選の会場として
          使用していたが、昭和39年に近鉄奈良駅前の再開発計画(道路拡幅等)に伴い
          同所が立ち退きとなり活動拠点を失う。
      *昭和40年以降アマ名人戦奈良県予選も昭和43年まで途絶
        ・昭和40年~
          活動拠点は①中井守四郎氏宅(昭和40年頃)、②電々会館(奈良市山ノ上町)、
          ③中井敏明宅(昭和42年頃)、④西部公民館旧館(昭和43年~平成9年)、
          ⑤西部公民館新館(平成10年~)と転々とし、平成23年から現在の⑥奈良市
          中部公民館に至る(同館改装期間中は「奈良市生涯学習センター」を臨時使用)

      3.その他
      (1)過去に開催した記念大会
        ・昭和52年に寧楽棋会30周年を記念した将棋大会を公民館(当時旧奈良市庁跡)
         で開催、運営費
        ・賞品等に約十万円を捻出、A・B・Cクラスに約80名が参加、Aクラスの優勝者は
         小林純夫氏、準優勝は東條文好氏であった。
        ・同大会には記念品として「湯呑み」(特注品)を配付した 

         *大会の記念品の湯呑み(現存する1点)

       

      (2)寧楽棋会に所属した歴代の強豪の方々(昭和の時代)
        ・小林純夫氏(昭和52年アマ名人、昭和56年朝日アマ名人等)
        ・西治一氏(アマ名人戦奈良県代表3回等)
        ・中川繁美氏(アマ名人戦奈良県代表2回)
        ・辻本源兵衛氏(アマ名人戦奈良県代表1回)
        ・長部谷重夫氏(元奨励会)等々

      平成30年9月 【寧楽棋会】 名誉会長 中井敏明、会長 井部正明、幹事 野田幸生




      • 寧楽棋会設立日の訂正
      • 小笠原輝氏調査の新聞記事の内容       2018.02.05

        大和タイムス 昭和22年7月22日火曜日 の記事から転記

        寧楽棋會誕生
        相互の棋道研究と親睦を図り、あわせて大成會縣支部長松田七段を後援し、
        縣棋会の興隆のため盡力しようと、河崎初段を會長に、副會長松岡四級、幹事吉田一級
        他四名を役員とし、縣内アマチュア棋士を会員として、二十日寧楽棋會の誕生をみた、
        事務所は市内杉ヶ町十一ノ六大成会縣本部におき、毎月1回競技会その他を開催、
        會費月十圓、真面目な愛棋家の入會を歓迎している、
        詳細は同會あて問い合わせのこと

         将棋世界の平成30年12月号より「〝将棋めし” いま、むかし」を連載されている
        笠原輝氏調査の記事を紹介して、寧楽棋会設立日を昭和22年10月19日から昭和22年
        7月20日に訂正いたします。(見谷)



      • ④ …寧楽棋会の会場の変換


      • ⑤ …寧楽棋会よもやま話




      • ⑥ …第23回名人戦 復活した「県名人戦」当日の予想記事


      • ⑦ …第23回名人戦 予選翌日の結果


      • ⑧ …第23回名人戦 各クラスの結果記事


      • ⑨ …第23回名人戦  決勝戦棋譜 第1譜~第9譜  四段 中村高夫 vs 三段 増田光男











      • ⑩ …大和タイムス紙上に於いて、「タイムス詰将棋教室」を開講


      • ⑪ …長らく途切れていた新聞棋戦「県下強豪勝抜棋戦」を復活


      • ⑫ …奈良県アマ将棋連盟の結成


      • ⑬ 奈良県アマ将棋連盟による棋力認定状の発行 (二段 中井敏明)


      • ⑭ …昭和47年度奈良県アマ将棋段位戦の結果








      • ⑮ …奈良県アマ将棋連盟が盤駒を購入する為、役員や関係クラブが資金提供


      • ⑯ …昭和48年度には「高校選手権奈良県予選」も開催


      • ⑯ …昭和48年度には「高校選手権奈良県予選」も開催


      • ⑰ …活性化を表す、一つとした「昭和49年度県名人戦奈良県予選表」


      • ⑱ …赤旗日曜版 第11回全国勤労者囲碁将棋大会予選(奈良地区)